2018年3月3日土曜日

人生初の骨折記(2)

無事プラハにたどりつき、月曜日出社して、会社のチェコ人スタッフに付添ってもらい、プラハで一番大きなモトル病院へ。

おそらく共産時代からあるようで建物の作りが増築に増築を重ねたような巨大病院。どうやらこの病院はチェコでNo.1のカレル大学の付属病院であるらしく、結構研修医、研修生を見かけました。
いちおう外国人受付があり、対応はしてくれるんだなと思いましたが、英語が通じるのはこの受付だけ。そこから先の整形外科はやはり英語が通じず。
チェコ人スタッフによれば、やはりチェコはお医者さんの給料が(西側比相対的に)低いようです。英語やドイツ語ができる人はどんどん給料のよい西側へ出て行ってしまうので、チェコに残っているお医者さんや医療スタッフは英語はできない。そりゃそうだな。

結局ほぼ全ての診察過程がチェコ語で行われ、結論、手術が必要かどうかよくわからんから水曜もう一回来いと。9時から行って、全部終わったのが15時ぐらいで、やはりチェコは外国人には厳しいなあと実感。医療レベルはそんなに変わらないはずだが、やはり言葉の壁がある。

会社に戻って相談し、やはり早期に帰国したらどうかという勧めもいただいて、本社の産業医から東京の病院を紹介してもらい、急遽帰国することに。

そこからはバタバタ。仕事をこなしつつ(といっても左手は指も含めてほとんど動かせず、パソコンも右手打ちで結構厳しい状態)、病院の外来初診予約が土曜日に取れるとのこと、金曜日に着くには木曜日に発たないといけない・・・それって明日じゃん!と水曜日に飛行機を予約。妻を残してとりあえず無念の帰国。

ここで帰るのも一苦労。左手は使えず、着替えなんかは日本で買ったらいいだろうということで、必要最低限のアイテム+上下スウェットで空港へ。ヘルシンキ経由のフィンエアーです。

チェックインカウンターで荷物を預けようとしたら、「よくわかりませんがチケットが続きで出てこないから、この預け荷物はヘルシンキで一回ピックアップしてください」とここでまさかのチェコあるあるを食らう。「はあ?え、この腕のギプスみて言ってます?」「でもできないから。ヘルシンキで聞いてみてよ。」
さすがにこの時はもう二度と使ってやんねーし!って、怒りというか、ヘルシンキでどうすっペ・・・という不安でいっぱいになりました。
まあ前日に慌てて買ったし、コードシェアのJAL便への接続だったので、何かあったんでしょう。何かが。。。

そしてこういう時はだいたい畳みかけて「あるある」がくるというのは経験則で予感。
セキュリティーはなんとかクリアしたものの、搭乗の時にやはり、「え、なにこれギプス?医者の証明書は?」とある意味安定のチェコ(塩)対応。
いや、チェコの医者がダメだから日本に帰るんだし!とさすがにキレ気味にクレーム。結局一番最初に並んでいたのに、一番最後に搭乗させられるという辛酸ペロリの刑に処され、まあでもとりあえず帰れるか・・・とちょっと安心。

ヘルシンキ経由で帰るのは初めてでしたが、ヘルシンキ空港はこじんまりしているので乗り換えがラクで、非常に快適。
日本行きの便では隣がスウェーデン人のおばさんで、IKEAに勤めているらしく色々な話を聞く。左手が使えなかったので、醤油のお魚のケースのふたを開けてもらったり、メインディッシュのアルミのふたを開けてもらったりと非常によくしてもらう。初めての日本らしく、錦糸町のホテルにいくのに総武線に乗るとか言っていた。黄色に乗ればいいのよね?とか結構調べているようだったが、果たして無事に旅行できただろうか。。。
パスコントロールで入口が別なので、そこでお別れ。


そして土曜の診察で、やはり手術が必要との判断。
月曜入院、火曜日に手術。で術後は6週間予後管理が必要・・・とのことで当面東京に滞在しないといけないことに。

この時は、左手はもとに戻らないのではという不安や、初めての手術で怖いとかもありましたが、どちらかというと、仕事上の不安が強かったです。
予定していた出張も全部キャンセルだし、もうダメだ、クビだ、本帰国になってしまうかも・・・とかなり真剣に落ち込みました。
しかし、こういう時こそできることをやるしかないなというのも自分で言い聞かせ、何とか入院中も、術後管理やリハビリを真剣にこなしつつ、必要最低限でしたが仕事(メールチェックや返信、電話)も少しずつ対応できました。

(続く)

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