2018年3月3日土曜日

人生初の骨折記(4)


結局、図らずも年末年始を日本で過ごす展開に。
奥様も最初チェコに残して一人で帰国していましたが、しばらく帰れなさそうということで帰ってきてもらい、病院もない年越し年明けは双方の両親と過ごしました。

日本の両親や家族、それに友人知人、ごくごく限られた人たちしか会えませんでしたが、自分が一番心配だった「仕事は大丈夫なのか」というところを突っ込む人はほとんどいなくて、みんな自分のことのように「どうやって折ったのか」とか「折ってどうなったのか」とか「そりゃ大変だったな」とか「で治るのそれ」とか、心配して聞いてくれる人たちばかりでした。

そこで思った。そうか、自分の仕事なんて気にしているのは自分だけで、自分がいなくても会社、社会、世界は回っていくし、なんら問題がないのだと。
そんなことより、自分が自分であるために、変わらず健康でいることとか、家族やみんなが変わりなく幸せかどうかとか、そういうことの方が全くもって大事である、ということに改めて気づかされました。

そしてさらに思った。自分は今まで、仕事ばかりしていた、というか、仕事「しか」していなかった。こうやって、大切な人たちと直に会ったり、じっくり話をしたり、くだらないことで笑ったりとか、全然してこなかった。

そしてその間に気がついた。え、もう平成30年なの?と。
周りのみんなが年を取り、人生をどんどん進めていて、自分は遠いところでひたすらに毎日の目の前の仕事をこなすことで精一杯で、自分を見つめるとか、人生をどうするとか、そんなこともなくただひたすら走り続けていた。

本当は骨折がなかったら、日本に帰ってくるつもりはなかったわけで、このしょうもない骨折は、神様が「もうこいつはいつまで外でほっつき回っているんだ。日本にも帰りなさい。立ち止まって自分を見つめ直すべし。えいっ!」と言って、ちょっとこけた時に余計な力をウムって加えたに違いない。

両親は、骨を折ったアホな息子にあきれていましたが、まあ久しぶりに帰ってきたのでむしろ嬉しそうでした。

というわけで、プラハに戻ってきてからは健康、家族、周りの人たち、人として当たり前のことを大事にしよう、と思って日々を過ごしています。

言葉だけ聞くと浮いちゃうけど、ここまでの文脈を踏まえれば、つまり「自分を大事に」、「当たり前を大事に」すること、「(敢えて)仕事をしない」、仕事をしすぎないこと、を意識的にやっています。そうすると、自分を一歩引いて見れる気がして、なんだ実はこんなことできるじゃんとか、まだこれやってないな、とか、いろんなことに気づきます。

仕事しすぎて普段のパフォーマンスが落ちるより、敢えて仕事しないでコンディションを整えたほうが結果として量質ともに仕事ができるようになる。
あれもこれも、よくばって休みや睡眠を削るより、よく休んでよく寝て毎日を大事に過ごす方がよっぽど楽しい。

で骨ですが、一応2月下旬にプラハでレントゲンを撮ったところ、まあくっついているということだったので、もうサポーターも外しております。ちょっと傷口がまだ不安な感じはしておりますが、油断せずコツコツいきたいと思います。

最後、今回の骨折で、助けていただいた、お世話になった、ご迷惑をおかけした、周りの皆様に、本当に感謝です。ありがとうございました。こんな自分ですが、これからもよろしくお願いします。


以上

人生初の骨折記(3)

手術は人生で初めてでしたが、全身麻酔ということもあり、かなり細かい説明を執刀医の先生や、麻酔科の先生、看護師さんなど、色々な方から受けました。

印象に残っているのは、例えば全身麻酔をかけると自発呼吸ができなくなるので、その間は人工呼吸器をつけます、気管に管をつっこむから術後はせきが出るかも、とか。
え、呼吸止まるの!?まあ、可能性はないに等しいだろうけど、麻酔かかってふっと意識落ちてそのまま不慮の事態がおきたら・・・とか、聞けば聞くほど深刻になってきて、途中で先生から「けっこう心配性ですか?」とか突っ込まれる始末。

手術前日は夜21時から絶食で、1L分の経口補水液を渡され、翌日朝までちびちび飲むよう言われる。やっぱり緊張してあんまり寝られず、翌日朝からは絶飲絶食状態だったけれど、手術着に着替えて着圧靴下を履いたらよけい緊張。
結局手術は14時にスタートするまでそわそわしながら病室で待機。そして時間になると、手術室まで行ってください、といわれトボトボ歩いて別の病棟へ。何番の手術室へと言われ、ウィーンとドアがあくと、想像よりたくさんの人(お医者さんとスタッフ)。そして目の前に手術台。
「じゃここ寝てください」と自分で手術台に寝る。足が動くのであたりまえだけど、自力ってなんかやだなあ、先に麻酔かけられるんじゃないのか、そりゃそうか、、、とか思いながら、手術台に寝た瞬間、10名ぐらいの人がうわーっと一斉に取り囲む。
みんな一斉になんか喋りかけてくる。「はい点滴入れます」「ちくっとします」「マスクかけます」「はいシューっとガスでます」そんな一気に話しかけられてもわかるかい!とか思った矢先、ふしゅーとガスの音。2秒後、記憶なし。

うーんと思って次のシーンは控えの間みたいなところで、カベの時計を見ると16時。左腕を上から吊るされていて、痛くはないけど、もわーんとする感覚、というか感覚があんまりない。その日は術後も酸素マスクをつけて、左手吊るされてベッドから動けないから色々と大変でした。


(手術後、麻酔がきいて寝ている間に撮られたレントゲン。最初見たときはギョッとしまいたが、それよかこのレントゲンどうやって撮ったんだろう?)


翌日に傷口を処理してギプスからサポーターのような簡単なものに変更し、その次の日から早速リハビリが始まる。傷口がまだ痛いからか、とにかく手首がほとんど動かない・・・


(黒いのがサポーターで、入院中は腫れてむくんでいる骨折部を心臓より高くしておくために、寝るときは手を吊っていたので、サポーターの上の白い包帯は吊る用の包帯。)

ここからはずっと毎日リハビリ。お医者さんにも相談し、出勤する必要がないんならしばらく入院して集中してリハビリした方が治りは早いかもということで、早い人はすぐ退院してしまうようなのですが、結局2週間入院してほぼ毎日リハビリを受けることができました。

リハビリは最初は本当に動かなくて辛かったけど、毎日すこしずつ、すこしずつ動いていくようになるのがわかると、それが励みになり、また練習、の繰り返し。

むくみも取れてきて、ついに退院。その後は週に3日の通院リハビリ。欧州もクリスマスシーズンに入り、仕事もさほどでもなかったのがよかったけれど、上下スウェットで通院往復、高校生に混じってガラガラの電車に揺られるのは非常に社会人として辛かった。。。病気もなく、怪我もなく、あたりまえに普通に仕事ができるのって、ありがたいことなんだなあとめちゃめちゃ痛感。

(続く)

人生初の骨折記(2)

無事プラハにたどりつき、月曜日出社して、会社のチェコ人スタッフに付添ってもらい、プラハで一番大きなモトル病院へ。

おそらく共産時代からあるようで建物の作りが増築に増築を重ねたような巨大病院。どうやらこの病院はチェコでNo.1のカレル大学の付属病院であるらしく、結構研修医、研修生を見かけました。
いちおう外国人受付があり、対応はしてくれるんだなと思いましたが、英語が通じるのはこの受付だけ。そこから先の整形外科はやはり英語が通じず。
チェコ人スタッフによれば、やはりチェコはお医者さんの給料が(西側比相対的に)低いようです。英語やドイツ語ができる人はどんどん給料のよい西側へ出て行ってしまうので、チェコに残っているお医者さんや医療スタッフは英語はできない。そりゃそうだな。

結局ほぼ全ての診察過程がチェコ語で行われ、結論、手術が必要かどうかよくわからんから水曜もう一回来いと。9時から行って、全部終わったのが15時ぐらいで、やはりチェコは外国人には厳しいなあと実感。医療レベルはそんなに変わらないはずだが、やはり言葉の壁がある。

会社に戻って相談し、やはり早期に帰国したらどうかという勧めもいただいて、本社の産業医から東京の病院を紹介してもらい、急遽帰国することに。

そこからはバタバタ。仕事をこなしつつ(といっても左手は指も含めてほとんど動かせず、パソコンも右手打ちで結構厳しい状態)、病院の外来初診予約が土曜日に取れるとのこと、金曜日に着くには木曜日に発たないといけない・・・それって明日じゃん!と水曜日に飛行機を予約。妻を残してとりあえず無念の帰国。

ここで帰るのも一苦労。左手は使えず、着替えなんかは日本で買ったらいいだろうということで、必要最低限のアイテム+上下スウェットで空港へ。ヘルシンキ経由のフィンエアーです。

チェックインカウンターで荷物を預けようとしたら、「よくわかりませんがチケットが続きで出てこないから、この預け荷物はヘルシンキで一回ピックアップしてください」とここでまさかのチェコあるあるを食らう。「はあ?え、この腕のギプスみて言ってます?」「でもできないから。ヘルシンキで聞いてみてよ。」
さすがにこの時はもう二度と使ってやんねーし!って、怒りというか、ヘルシンキでどうすっペ・・・という不安でいっぱいになりました。
まあ前日に慌てて買ったし、コードシェアのJAL便への接続だったので、何かあったんでしょう。何かが。。。

そしてこういう時はだいたい畳みかけて「あるある」がくるというのは経験則で予感。
セキュリティーはなんとかクリアしたものの、搭乗の時にやはり、「え、なにこれギプス?医者の証明書は?」とある意味安定のチェコ(塩)対応。
いや、チェコの医者がダメだから日本に帰るんだし!とさすがにキレ気味にクレーム。結局一番最初に並んでいたのに、一番最後に搭乗させられるという辛酸ペロリの刑に処され、まあでもとりあえず帰れるか・・・とちょっと安心。

ヘルシンキ経由で帰るのは初めてでしたが、ヘルシンキ空港はこじんまりしているので乗り換えがラクで、非常に快適。
日本行きの便では隣がスウェーデン人のおばさんで、IKEAに勤めているらしく色々な話を聞く。左手が使えなかったので、醤油のお魚のケースのふたを開けてもらったり、メインディッシュのアルミのふたを開けてもらったりと非常によくしてもらう。初めての日本らしく、錦糸町のホテルにいくのに総武線に乗るとか言っていた。黄色に乗ればいいのよね?とか結構調べているようだったが、果たして無事に旅行できただろうか。。。
パスコントロールで入口が別なので、そこでお別れ。


そして土曜の診察で、やはり手術が必要との判断。
月曜入院、火曜日に手術。で術後は6週間予後管理が必要・・・とのことで当面東京に滞在しないといけないことに。

この時は、左手はもとに戻らないのではという不安や、初めての手術で怖いとかもありましたが、どちらかというと、仕事上の不安が強かったです。
予定していた出張も全部キャンセルだし、もうダメだ、クビだ、本帰国になってしまうかも・・・とかなり真剣に落ち込みました。
しかし、こういう時こそできることをやるしかないなというのも自分で言い聞かせ、何とか入院中も、術後管理やリハビリを真剣にこなしつつ、必要最低限でしたが仕事(メールチェックや返信、電話)も少しずつ対応できました。

(続く)

人生初の骨折記(1)


2017年11月、チェコの三連休(17-19日)で、シーズン初滑りのスキーにオーストリアのキッツビュールに行ったのですが、見事初日で転倒し、左手首を骨折してしまいました。



【このあと↓にギプス前(というか整復前)の写真をのっけていますので、先にお断りしておきます。。】

普通のコースを滑っていたつもりでしたが、ちょっと北向きで陰っていたので下がガリガリ、上にふわふわの雪が乗っかっているというコースでした。まだシーズン早かったので、無理やり人工雪をつけていたので、今思えば少しトリッキーだったかもしれません。

今シーズン初スキーということで、といっても去年は4月のイースターまで滑っていたし、夏もあんまり暑くないスイスの山あいを旅行していたので、ここのところの山ブームをそのまま引きずる感じでするっとシーズンイン、したつもりでした。最初の3,4本目ぐらいまでは・・・





で、確か左足だったか、そのホワホワの雪に板を取られて、思いっきりこけて、最初は腰を打ったので痛っ!って思いましたが、ゴロゴロとそこそこ派手にこけて、あーあ、と思って立ち上がろうとしたら、

ん?なんか左手が、めっちゃ痛い、ん、あ、これはやばい、、、となり、その場でしばしうずくまり・・・

気がついたら人が集まっていて、大丈夫か?と。とりあえず、足はなんともなかったので自走可能だったので、コースの下、リフトの乗り場まで自力でおり、レスキューへ。
そこで「ヘリを呼ぶか、スノーモービルでハーネンカムバーンの下り乗り場までいくか、どうする?」と言われ、え、ヘリ?いやそこまで大げさではない・・・(痛いけど・・・)と判断できるぐらいは可能な状態であったのを覚えています。

申し訳ないながら、そこで奥様を置いてきぼりに。
レスキューの人に、こういって、こうやって下山するんだと言われていたけど、いつもおれについて滑ってきているだけで、自分でコース考えて滑ったことないはずだから、大丈夫かな・・・と思いながらも、私はそのまま搬送。

嫁よすまん・・・と思いながらも声にならず、スノーモービルにまたがり、これが割とベルトとか固定されず、結構揺れるので、振り落とされないよう必死に運転手にしがみついていました。

レスキューはすごく手際が良く、ハーネンカムバーンの下り乗り場についたら別の隊員が介添してくれて、麓についたらゴンドラおりたところに救急隊が待ってくれていて、そのまま搬送用の車椅子に乗せられて、隣町(St. Johann in Tirol)の大きな病院へ。

確か20分ぐらいだったけれど、この時になって、自分でも混乱が収まってきたのか、痛みがけっこう強くなってきて、救急隊の「あと10分!」「もうすぐ着く!」がすごく長く感じたのを覚えています。

程なく病院に到着。ジャンプでこけた時にワンピが切られたとかいう話を聞いたことがあったので、最初に思っていたのは、あーこのスキーウエア切られちゃうかなー、とかそういうこと。(こういうときに意外と瑣末なことがぱっと出てくるあたりが、自分ぽいなーと思う)

でもわりかしさらっと脱がせてもらって、手そのものがあらわになり、見た瞬間、あ、これを折れているというのかと自覚。どう見ても変だ。手が(横から見た)フォークみたく曲がっている。思わず写真を撮る。この写真は2017年のベストショットですね、残念ながら・・・。


そしてとりあえずレントゲンを撮り、別室でペインキラーを打たれて、左腕を上から吊るされ、20分だったか安静に。
看護師のおじさんが、20分後に「実はこのおもりぶら下げてました」といかにも重そうなおもしを見せてくれました。あー骨を伸ばしているんだなと。
そしたら外科医の先生(であるということにこのときやっと気づく。おばちゃん手前ぐらいの女性だったので、最初看護師さんかと思いましたが)が、じゃあいくよ、と看護師のおじさんと、おれの腕を思いっきり伸ばしまくる。
最初予期していなかったが、じゃあいくよと言われた時に、そうだよね元に戻さないとね、そりゃそうだよねとあっさり理解し、でもやっぱり手を思いっきり引っ張られたので、絶叫して悶絶。そのあとはあまり覚えていませんが、ひじより下をギプスで固定し(人生初ギプス)、もう一度レントゲン。

先生「この骨、3時の方向向いてなきゃいけないのが、真逆の9時の方向に行ってしまっていたので、思いっきり引っ張って戻そうとしたけど、まだ12時ぐらいの方向にしか戻っていない。これは手術をして、プレートを入れて固定が必要。全身麻酔だから入院が必要です。ただ、今は腫れてるからすぐはできない。あなたチェコに住んでるの?日本に帰る予定は?」

私「あ、年末に帰ろうかなと。」

実はこのとき全く帰る予定などなかったのですが、帰らないでスキーをしようと企んでいたので、もはやスキーどころではないという事実をつきつけられ、口が勝手に回答。このあたりの機転は我ながら感心(?)。「じゃあそれで手術したらいいと思います。」診断書と整復前後のレントゲン写真をもらって、奥様にお迎えを要請し、1時間ほど待ってホテルへ戻りました。

ホテルに着いて、ちょっとホッとして、小腹もすいたので(というか昼を食べていない)、痛み止めも飲むので、ラウンジでサラダとパスタを摂る。この辺りは、痛みもだいぶ収まっていたからか、パッパッと冷静な判断ができた。会社の上司に報告したり、明日車運転できるかなとか。


もちろん、ああやってしまった、なんでこけたんだろうあんなところでとか、レジャースキーで骨折とかマジ人生の汚点だとか、仕事どうしようとか、人生初手術かあ・・・とか、くよくよ思考も駆け巡ったのですが、人生初の骨折イベントで、自分で自分を鼻で笑うような気持ちがありました。

そして妻にもびっくりさせて、置いてけぼりにしてしまいすごく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でもなぜか妻は「あなたは悪くないよ。」という。いや、どう考えても自分が悪いだろ・・・でもこの日は自分に散々振り回された挙句、お迎えまできてもらい、自分が逆の立場だったら「ふざけんな!」となるところ、逆に励ましてくれて、感謝の気持ちとともに、その卓越した思考ができるところに改めて尊敬。

翌日日曜日、小雪が舞う中、なんとかプラハまで戻り。



リンツ・チェスケーブディヨビツェ経由か、ドイツ経由か、迷いましたが、国境検問で片腕運転をしょっぴかれるリスクより、安全運転を優先、ということで、ずっとアウトバーンで帰れるドイツ(ミュンヘン、レーゲンスブルク)経由を選択。
やはり国境警備してましたが、長袖で普通に運転してる風にしていたら、止められませんでした。前を走っていたセルビア(だったか旧ユーゴのどっかの国)ナンバーが思いっきり止められていたので、それに気を取られてスルーだったのかも。

(続く)